「CFネッツ」は、不動産コンサルタントの倉橋隆行が経営する不動産コンサルタント会社である。当時倉橋は、この会社と、マンスリーマンションを運営する「月極倶楽部」、不動産関連の研修事業などを手がける「不動産体系研究所」など、5つの会社を経営し、出版物も多く出していた。その為、自分の会社のマネジメントだけではなく、全国的に講演などの依頼も多く、毎日、超多忙な日々を送っていた。
不動産コンサルタント会社という非常に間口の広い商売では、相続対策や土地有効活用などの付加価値の高い仕事をメインで行おうと思っても、そう簡単に仕事がくるものではない。またコンサルタントの仕事は、その個人のキャラクターで仕事がくるケースが多く、名前が売れてこないと仕事も増えない。倉橋自体は著書も多数出しているし、テレビの出演回数も多いことから、人より仕事のチャンスは多い。倉橋としては、CFネッツでこの業務のフランチャイズ展開を行い、ノウハウを提供して多店舗展開を仕掛けるつもりでいたが、時代がまだ早かった。業界には、ノウハウを享受できる人材が、明らかに不足しているのだ。
そこで、新聞社などが主催するセミナーの講師や、業界団体の主催するセミナーの講師を引き受け、当面、業界のレベル向上に励むことにし、一時、フランチャイズのシステムを止め、自社の出店の中で社員教育を充実することにしていた。
「倉橋先生は、いらっしゃいますか?」
戸塚は、多忙な倉橋にアポイントを取り付けるため、CFネッツの横浜オフィスに電話をかけた。
「記者の戸塚と申します」
「あ、戸塚さん。先日は、どうも」
まさかいないだろうと思っていた倉橋が、秘書を通じて電話に出たことに、戸塚は少々驚いた。
倉橋の自宅は、横浜市内の中心にある。本来であれば、東京の仕事が多いため、新宿のオフィスに出勤したほうが効率的であるが、倉橋は横浜生まれの横浜育ち、どうも東京の喧騒にはなじめず、港南台にあるCFネッツの横浜本部で執務することが多い。この日も、大型の不動産投資案件の目論見書を作成しているところであった。
「先日は、取材、ありがとうございました」
戸塚の言葉に、倉橋は更に取材の申込みかと考えていたが、戸塚は「実は、先生に助けてもらいたい人がいるのですが」と相談を持ちかけた。
「まぁ、戸塚さんの頼みじゃ、嫌とはいえないけど」
倉橋は、先日、戸塚の書いた記事に、非常に満足していた。まだ小さな会社であるのに、大手の会社と比較しても大々的に記事に取り上げてくれ、倉橋の考えを比較的正確に伝えてくれていた。だからという訳ではないが、気持ちを汲んでくれた戸塚の頼みであれば、気持ちで応えてあげようと倉橋は思ったのだった。
「で、どんな内容?」
夏も、そろそろ終わりを告げる頃、初老の夫婦と倉橋より一回り下位の吉田が、CFネッツの横浜本部に現れた。
「これ、つまらんもんですが」
ズシッと重い紙袋を倉橋に手渡し、吉田の父が挨拶した。
「いやぁ、そんな気を遣っていただかなくても」と言いながら、その袋の重さに興味をもち、倉橋が袋を開けると中にはぎっしりといちご煮の缶詰が入っていた。
「へぇ、いちご煮って、缶詰なんか、あるんですね」
いちご煮とは、うにとあわびでつくった塩味のお吸い物である。倉橋は、吉田の両親が住む地方に講演に行くと、必ず、焼きかぜといちご煮を食べる。そんな話を先日の戸塚からの電話で話したものだから、きっと戸塚が吉田に話したのだろう。妙な気を遣わしてしまったことに、倉橋は、少々、恥ずかしい思いをした。
「先生、何とか息子を助けてくれませんか」
吉田の母が今までの経緯を話し出し、吉田は俯いたまま、隣で話を聞いていた。ほとんどの内容を、吉田の母が丁寧な口調で話し終えた。
「ん~、で、何でご両親がついてくるの?」
自分自身の問題なのに、何か第三者的に話を聞いている30の半ばを過ぎた吉田に、少々、苛立ちを覚え、倉橋は吉田に言った。
「確かに、いちご煮を頂いたことはありがたいけど、もう独り立ちしたいい大人が、こんな話で両親を連れてこなくても、いいんじゃないの?」
倉橋の両親も健在で横浜に住んでいる。吉田の両親と倉橋の両親の顔がだぶり、倉橋の両親が懇願している姿のように倉橋には映った。
倉橋は、今後の解決に向けての方向性を、概ね両親と吉田に告げ、「本件を引き受ける上で条件があります」といった。
「吉田さんは、両親に借りた金は必ず返すこと。報酬は、分割でもよいから、吉田さん自身が払うこと。そして、今後一切、両親を巻き込まないこと」
倉橋は、両親の目の前で、吉田にきっぱりと言った。
「はい。先生の言うとおりにします」
弱々しい声で吉田が答えると、吉田の母の目に、薄っすらと涙が浮かんでいた。