はじめに
前回、京都地裁平成20年4月30日の定額補修費分担判決については概要を説明しました。しかし、前回の時点では判決文の詳細までは明らかでなかったため、今回、改めて判決文の内容を紹介したいと思います。
(出典:裁判所ホームページhttp://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080519115959.pdf)
定額補修分担金判決の内容
(1)事案の概要
本件は,原告が,被告との間で賃貸マンションの賃貸借契約とともにそれに付随して定額補修分担金特約(以下「本件補修分担金特約」という。)及び更新料特約(以下「本件更新料特約」という。)を締結し,同補修分担金特約に基づいて同特約締結時に定額補修分担金16万円,同更新料特約に基づいて同契約締結2年経過後の更新時に更新料6万3000円を各支払ったところ,被告に対し,同各特約は消費者契約法10条などにより無効であるとして,不当利得返還請求権に基づき22万3000円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年8月5日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案です。
(2)判旨
争点:本件補修分担金特約が消費者契約法10条により無効となるか
1 前提事実によれば,原告は,消費者契約法2条1項の「消費者」に,被告は,同条2項の「事業者」に該当する。
2 賃貸借契約は賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするところ,賃借物件が建物の場合,その使用に伴う賃借物件の損耗は賃貸借契約の中で当然に予定されているものである。そのため,建物の賃貸借においては賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少という投下資本(賃借物件)の通常損耗の回収は通常,賃貸人が減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませ,その支払を受けることで行われる。
そうすると,賃借人は,賃貸借契約が終了した場合には賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務を負うものの(民法616条,598条),原則として,賃借人に通常損耗についての原状回復義務を負わせることはできないものと解するのが相当である。
もっとも,賃借人は,故意や善管注意義務違反などの過失によって生じた賃借物件の汚損ないし損耗部分については修繕費相当の損害賠償義務を負う。そうすると,賃借人は,民法上,原則として,故意過失による同汚損ないし損耗部分の回復費用を負担すれば足り,通常損耗の回復費用については賃料以外の負担をすることは要しないといわなければならない。
3 本件補修分担金特約は,それに基づいて支払われた分担金を上回る回復費用が生じた場合に故意又は重過失による本件物件の損傷・改造を除き回復費用の負担を賃借人に求めることができない旨規定しているところ,回復費用が分担金を下回る場合や,回復費用から通常損耗についての原状回復費用を控除した金額が分担金を下回る場合に賃借人にその返還をする旨規定していないが,同規定していない趣旨からすると,被告も主張するとおりそのような場合,賃借人は,差額の定額補修分担金の返還を求めることができない旨を規定しているといわざるをえない。
そうすると,同分担金特約は消費者たる原告が賃料の支払という態様の中で負担する通常損耗部分の回復費用以外に本来負担しなくてもいい通常損耗部分の回復費用の負担を強いるものであり,民法が規定する場合に比して消費者の義務を加重している特約といえる。
4 ア 前記のとおり賃借人が本件補修分担金特約に基づいて賃料と別個に負担すべき分
担金額は一般的に生じる軽過失損耗部分に要する回復費用を踏まえたうえで算定されるべき
ところ,賃貸人は,当該物件もしくは同種物件の修繕経験を有するのが通常であり,そ
の経験の蓄積により通常修繕費用にどの程度要するかの情報を持ち,計算をすることが可能
である。他方,消費者である賃借人は,通常,自ら賃借物件の修繕をするなどの経験はな
く,したがって,一般的に賃貸人が有するような上記情報を有するとは考え難い。本件にお
いても,消費者である被告が同情報を有していたと認めるに足りる証拠はない。
賃借人が負担する同分担金額は賃貸人が有している上記情報を基に設定するのが一般的で
あると考えられるところ,賃借人となろうとする者が同情報を持ち合わせないままで賃貸
人との間で分担金額の程度・内容について交渉することは難しく,仮に交渉できたとして
もその実効性が担保されているとは考え難い。以上の事実を踏まえると,賃貸人が賃借人
に負担させるべき分担金額を一方的に決定しているというべきである。
イ (ア)
本件補修分担金特約は軽過失損耗部分の回復費用を定額に設定しているところ,
形式的に見ると,軽過失損耗部分が同定額を超えた場合には賃借人に利益となる余地があ
る。しかし,実質的に賃借人に利益があるというためには結果的に発生した軽過失損耗部
分の回復費用が設定額より多額であったという特段の事情のない限り難しく,少なくとも
定められた分担金額が一般的に生じる軽過失損耗部分の回復費用額と同額程度であること
が必要である。
(イ)
本件補修分担金特約に基づく同分担金額は月額賃料の約2.5倍程度に定められていると
ころ,賃借人に軽過失があって,軽過失損耗が発生することは通常それほど多くなく,一
般的にその回復費用が月額賃料の2.5倍であると考えることはできない。そうすると,
同分担金特約に基づく分担金額は一般的に生じる軽過失損耗部分の回復費用と同額程度と
はいえず,また,本件物件について軽過失損耗部分の回復費用が設定額である16万円を
超えたと認めるに足りる証拠もない。
(ウ)
以上によれば,本件補修分担金特約は賃借人である原告にとって有利であるとまではいえ
ず,かえって,賃借人に月額賃料の約2.5倍の回復費用を一方的に支払わせるもので,
しかもその額の妥当性について消費者である原告に判断する情報がないこと,以上の事実
にあわせて通常損耗にともなう回復費用について賃料とは別個に賃借人に負担させるもの
であることを総合すると,消費者である原告に不利益を負わせるものと評価せざるを得な
い。
ウ
そうすると,本件補修分担金特約に基づいて原告に対し,分担金の負担をさせることは
民法第1条第2項に規定する基本原則に反し消費者の利益を一方的に害するものといえる。
エ (ア)
この点,被告は,本件補修分担金特約は原状回復費用が定額に抑えられていて原
告に有利である旨主張する。しかし,上記イ,ウで説示したとおり本件補修分担金特約は
実質的にみて賃借人である原告に有利とまではいえない。したがって,被告の同主張は採
用できない。
(イ)
また,被告は,定額補修分担金特約の定めがある賃借物件では,賃借人が退去時
における原状回復費用をめぐる紛争リスクの減少というメリットを享受することができる
旨主張する。しかし,かかる紛争リスク減少のメリットは賃借人だけではなく,賃貸人も
同様に享受しているのであり,賃貸人も享受するメリットを発生させるために賃借人のみ
が通常損耗部分の回復費用を含む分担金を負担することは不当であるといわざるをえない。
(ウ) また,被告は,定額補修分担金特約のある賃借物件では賃借人は軽過失は免責さ
れるので原状回復費用のことを気にかけることなく安心して居住することができる旨主張
する。しかし,善管注意義務を尽くそうとする賃借人にとって,同分担金特約の定めをし
た場合であっても賃借物件を損壊しないように注意しながら生活をすることになるし,善
管注意義務を尽くそうとしないような賃借人についてはそのような生活態度からして重過
失が認定される蓋然性が高くなり,被告が主張するように軽過失にすぎないとして免責さ
れる余地は少ないことになる。したがって,被告が主張するように同分担金特約の存在に
よって一般的に賃借人が安心して居住することになるわけではない。
5 以上によれば,本件補修分担金特約は民法の任意規定の適用による場合に比して賃借人の義務を加重するものというべきで,信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するもので,消費者契約法10条に該当し,無効である。
定額補修分担金判決についての評価
以上の判決の内容によれば、裁判所は、今回の定額補修分担金特約を通常損耗部分の回復費用を賃借人に負担させる特約であると解しており所謂原状回復特約の一種であると判断しております。
そして、定額補修分担金特約について消費者契約法10条に基づいてその効力を否定しているものです。
ところで、住居用賃貸借契約における原状回復特約については、既に紹介しているとおり、平成17年12月16日最高裁判決においては、「賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要である」と判断されております。
このため、裁判所が、定額補修分担金特約が原状回復における通常損耗補修特約の一種であると解するのであれば、まず、最高裁の基準に従って明確な合意が本件において存在するかどうか判断されるべきであると思います。そして、当該定額補修分担金特約が通常損耗補修特約として明確な合意が存在する場合には、当然消費者契約法10条に定める1「民法第1条第2項に規定する基本原則(信義則)」に反することにはならず、2「消費者の利益を一方的に害するもの」という判断をまつまでもなく、当該特約は有効であると判断される可能性が高いと考えられます。
しかし、今回の裁判所の判断は、定額補修分担金特約について通常損耗補修特約に関する上記の最高裁の判断基準によることなく、直ちに消費者契約法10条を適用して、その有効・無効を判断しているため、上記の最高裁の判断を無視した形で判決がなされたと考えることができます。
このため、既に、この事件については、控訴審において争われていると聞いておりますが、控訴審においては、定額補修分担金特約について通常損耗補修特約に関する上記最高裁判例の定める基準に従って正確に判断した上で、消費者契約法10条の適用の有無について判断されることを是非とも期待したいものです。