事案の概要
賃貸人である、大阪府が、賃貸借契約書に退去時における負担区分表を定めており、その負担区分表に基づき、敷金
35万3700円から本件住宅の補修費用として通常の使用に伴う損耗(以下「通常損耗」という)についての補修費用を含む30万2547円を差し引いた残額5万1153円を返還したところ、賃借人から、敷金返還請求を申し立てられたもの。
判旨
賃借人が賃貸借契約終了により負担する賃借物件の原状回復義務には、特約のない限り、通常損耗に係るものは含まれず、その補修費用は賃貸人が負担すべきであるが、これと異なる特約を設けることは、契約自由の原則から認められる。
賃借人は、賃貸借契約が終了した場合には、賃借物件を原状に回復して賃貸人に返還する義務があるところ、賃貸借契約は、賃借人による賃借物件の使用とその対価としての賃料の支払を内容とするものであり、賃借物件の損耗の発生は、賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものである。
それゆえ、建物の賃貸借においては、賃借人が社会通念上通常の使用をした場合に生ずる賃借物件の劣化又は価値の減少を意味する通常損耗に係る投下資本の減価の回収は、通常、減価償却費や修繕費等の必要経費分を賃料の中に含ませてその支払を受けることにより行われている。
そうすると、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。
本件契約書には、通常損耗補修特約の成立が認められるために必要なその内容を具体的に明記した条項はないといわざるを得ない。被上告人は、本件契約を締結する前に、本件共同住宅の入居説明会を行っているが、上記説明会においても、通常損耗補修特約の内容を明らかにする説明はなかったといわざるを得ない。
そうすると、上告人は、本件契約を締結するに当たり、通常損耗補修特約を認識し、これを合意の内容としたものということはできないから、本件契約において通常損耗補修特約の合意が成立しているということはできないというべきである。
本判決についての考察
本判決は、原状回復における通常損耗補修特約に関する判断を最高裁として初めて示したものであるため、非常に先例として価値が高いものであり、今後の原状回復に関する裁判においては無視できない判決になるものと予想されます。
そして、本判決の意義として、まず、建物賃貸借契約において通常損耗補修特約を結ぶことは契約自由の原則から有効であることを明確にしました。これまでの下級審判決の中には通常損耗補修特約を締結すること自体が無効であるかのような判断を示した判決もありましたが、通常損耗補修特約を締結することは契約自由の原則に基づき有効であることを明確にしたことは非常に意義があると思います。
次に、本判決の意義として、通常損耗補修特約を有効にするための要件を示している点があります。本判決では、通常損耗補修特約が有効と認められるためには、賃借人が補修費用を負担する通常損耗の範囲が賃貸借契約書に具体的に明記されるなどして、賃借人との間で明確に合意されていることが必要であると判断しており、通常損耗補修特約について有効とするための要件が示された点においても非常に意義があると思います。
なお、最高裁が今回示した通常損耗補修特約を有効とするための要件は、原状回復ガイドラインにおいて示されている通常損耗補修特約の要件と非常に近似しているのではないかと思いますので、今後の原状回復ガイドラインの運用においても非常に参考になるのではないかと思います。
以上のように本判決は、通常損耗補修特約についての有効性並びに有効となるための要件を示した点において非常に意義のある判決であると思いますが、近時、通常損耗補修特約において問題となっている消費者契約法との関係についてまでは判断がなされておりません。
したがって、仮に通常損耗保証特約が本判決において示された基準に基づいて締結されたとしても、消費者契約法との関係では有効性の問題が別途生じる余地があることも留意しておく必要があると思います。